有名な中国語スクール

皆はこの亀を園のマスコットのように扱った。
ところが、ある日、亀がいなくなってしまった。
先生も子どもも園をあげての探索がなされた。
しかし、とうとう亀は出て来なかった。
そのとき、その子は先生に抱きついて泣きながら、「私の亀いなくなってしまった」と大声で叫んだ。
先生も子どもたちもともに悲しんだが、これが、この子が皆と話をするきっなったのである。
 これは誰も予測しないことであった。
創造的過程には常に予測しがたいことが生じる。
そして、それはそれを生かすような状態が準備されているときにのみ創造的となる。
この場合でも、先生をはじめ他の園児の暖かい支えがなかったとしたら、亀の消え失せたことは、むしろ悲劇を生んだことであろう。
もうひとつ蛇足ながら、この場合に亀を失った悲しみがあったように、創造過程には何かの獲得とともに、何かの喪失や断念の悲しみがつきまとうようにも思われる。
 それはともかく、ここに強調したいのは、子どもに対するわれわれ自身が生きているものとして、われわれの態度そのものがその後の現象に影響を与え、われわれ自身が現象のなかに組み込まれてしまう、という事実である。
この際、このことを体験された先生自身も、自分が教師として成長したことを感じられたのではなかろうか。
創造過程は相互的に生じるものなのである。
 子どもを暖かい目で見ると言っても、ただ、子どもの成長を信じて努力するだけでは、うまくゆかないときがあることもつけ加えておかねばならない。
たとえば、絨黙の子にものを言わせようと無理強いして、かえって状態を悪くしてしまうこともある。
先生が、この子は小動物が好きだと気づくところ、適切な時が自然に来るまで待ったところ、などは先生の的確な観察力や判断力が役に立っているのである。
熱意とか愛情などといっても、それがただむやみに示されるときは、かえって害を与えることを、われわれは多くの扮験から知っている。
 「男性の目」、「女性の目」 すでにあげた例によって、子どもの創造過程などといって喜んでいるとき、「そんなのは単なる偶然だ」と言われたとしたら、どうすればいいだろうか。
あるいは、そのときは亀を飼って成功しただけであって、絨黙の子に対しては、いつも亀を飼うと成功するわけではないのだから、そんなのを聞いても何の参考にもならないと言われたとしたら、われわれはどう返答すればいいのだろうか。
これはきわめて大切な問題である。
特にわれわれが新しい幼児教育学や保育学について考えようとするかぎり、なおさらのことである。
 せっかくすばらしいことがあっても、それが偶然のことだと言われると困るのは、そこからわれわれは何らかの普遍的な知識を見出したいと思うからである。
何らかの普遍性をもっていないかぎり、それは「学」としての体系を統べることにならない。
普遍性をもつようにするためには、そこに語られることばも何らかの一般性をもち、かつ、明確なものでなくてはならない。
 物理学を例にとるとわかりやすいが、そこに用いられる用語中概念は明確に定義されているし、概念間の関係を明らかにする法則も普遍性をもっている。
このような学問体系をつくりあげてゆくためには、自分と対象とを切り離し、対象を客観的に見る態度を身につけていなくてはならない。
 しかしながら、前に述べたように、子どもを創造過程にあるものとして見る見方は、ここ狐述べた態度とは両立しがたいものではないだろうか。
たとえば、絨黙症の子に対して、普遍的に通じる「よい方法」を、われわれは語れるだろうか。
それは、そもそもそれとかかわる教師の人格によっても、異なってくるようなものではなかろうか。
ある教師は叱って成功するかもしれないが、ある教師は、むしろ優しく接して成功するかもしれない。
 第一、対象を自分から切り離したような見方をすれば、そのこと自体が子どもの行動に影響すると述べた。
自分自身も「現象のなかに入れこむ」とさえ述べたが、そんなことで客観的事実がわかるのだろうか。
しかし、すでに明らかにしたように、そのような態度をもってこそ、本当に子どもに対する援助や教育ができたのではないだろうか。
 そこで、私は思いきった表現で、現象を見る目に、「男性の目」と「女性の目」とがある、と考えてみたい。
ここに、あえて「男性」、「女性」という表現を用いたのは、これまでの人間の精神史を考えてみると、やはり、男性がより得意としたものの見方と、女性が得意としたものの見方とがある、と考えるためである。
したがって、個々の男性や女性をとって考えてみると、必ずしもどちらが得意かは一義的に言えないと考える。
  「男性の目」は対象を自分と切り離し、客観的に見る。
それは全体よりも、ある部分を切り取り、その部分を明確に認識する。
「女性の目」は、自他の未分化な状態のまま、主観の世界を尊重しつつ、ものを見る。
それは明確さを犠牲にしても全体を把握しようとする。
実のところ、われわれは現象を見る際に、この両方の目を必要とするのであろう。
しかし、いわゆる自然科学は、この「男性の目」の方を強調することによって成立してきたことは否めない。
そして、それは普遍的な知識を供給してくれるものとして、きわめて有力なものであった。
 人間が人間に対するときは、すでに示したように、「女性の目」を必要とする。
「女性の目」で見たとき、それは自と他とのかかわりを含むものとなるので、いったい自分がこの子に何ができるのか、この際に何をするべきかがわかりやすい。
しかし、それはその時にその人にとって真であるとしても、普遍的に真なこととして語りにくいものである。
したがって、「男性の目」が優先しやすい領域においては学問体系がつくりやすく、「女性の目」をより必要とする領域においては、学問の構築がおそくなったと言えるのではなかろうか。
そして、幼児教育とか、保育学などという学間こそ、まさに後者に属していると言うべきだと思われる。
 保育学だけではない、看護学もそうではないだろうか。
そして、保育や看護などが、今まで女性優位の仕事と思われてきたことと、この事実は無関係ではないだろう。
保育や看護においては、その実務は女性の仕事とされてきた。
しかし。
その「学」はどうであったか。
これまでの実状を端的に述べると、それは「女性の目」によって見られたことの体系化ではなく、「男性の目」によって見た学問を何とか借りてきて、「借りものの学」によって間に合わせをしてきたと言えるのではなかろうか。
 このように述べている私の専攻する臨床心理学も、「女性の目」を相当に必要とする学問であると考えられる。
したがって、それの始まりは精神医学という、比較的「男性の目」を優位とする学問を借りて来なければならなかった。
あるいは、「男性の目」を優位とする心理学を借りて来る必要があった。
 これら「借りものの学」によって成立している領域は、何らかの、本家の「下に属する」ような感をもって眺められたことも事実である。
保育学は、それ自体の存在を確立することなく、「男性の目」で見た心理学、教育学、医学などに依存することになっていなかったであろうか。

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